雑誌と新聞は”捨てられるメディア”だ
と、tweetしたら、
「まだ新聞を読んでるんですか?」
というReTweetが。
そういうことで言ったわけではなく。
かといって、それを140文字で伝えられるわけもなく、
とりあえず「時と場合によります」と返した。
スマートフォンが増え、PCは小型化し、しまいにゃぁKindleやiPadみたいな
世界になってきている中、
「雑誌、新聞って、もはやいらなくね?」
という議論になるのは当然。
だって、他のデバイスで見れるようになるから。
そっちのほうが便利だから。
でも、先日そんな話をしてたら、後輩がこう言ったんです。
「雑誌・新聞は捨てられるんですよ」
これは結構目からウロコでした。
ネット広告業界に身を置き、最新デジタル動向には気を配り、
色んなwebサービスでiPhoneに集約しながら、という生活を送っている
中で、少しだけ、でも確かに思っていたこと。
“iPhoneに集約するのは便利。でも、iPhoneを持ってないとなんもできなーい”
“(たまに)邪魔。もっと身軽に活動したーい”
※iPhoneだからまだストレスは少ないんだろうけど
確かに雑誌・新聞のコンテンツも見れれば、PCのようにも使えて、
さまざまな活動を集約できて、便利だ。
でも、”捨てられない”んです。
いっつも”持ってなくちゃいけない”んです。
あの、雑誌や新聞を買って、読み終わったらポイっと捨てる感じ。
あの気軽・気楽・身軽な感じが失われました。
MobilePCも最近持ち歩かなくなりました。iPhoneで代替できる部分が
多いというのもありますが、何より、やっぱり多少重いし、時には邪魔。
そう考えると、僕は多分iPhoneが持ち歩く限界。
iPhoneをポケットに入れながら、文庫本読みます。
Kindle、iPadと雑誌・新聞では、そのあたりで「違う部分」があるんですね。
コンテンツだけではない。「紙」である利点。
そういう意味では、ぜんぜん死なないと思うんだ、ということなわけでした。