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[本]数学的にありえない(上・下)(文集文庫)

2010 年 4 月 13 日 コメントはありません

数学的にありえない〈上〉 (文春文庫)
数学的にありえない〈下〉 (文春文庫)


以前にも多少この本について書いていましたが、読み終わったので感想を。


06年、「週刊文春ミステリーベスト10」海外部門第3位、

「このミステリーがすごい!」海外編第5位にランクインした、アダム・ファウアーのデビュー作。

05年の発表以来またたく間に16カ国あまりで翻訳されベストセラーとなり話題を呼んだ、

圧倒的なリーダビリティーを持つノンストップ・サスペンスである。

(Amazonのレビューから引用)


一見、数学・統計学・物理学などがガンガン出てきて、おそらく

理系アレルギーの人は読む気も起らないように感じると思う。


しかも、主人公は決定論のPostでも書いた「ラプラスの魔」そのもの、という

若干サイコっ気も含んだ内容。


理系サイコミステリーか?というと、実はそうでもないところがいい感じ。


全体としては大きなアクション大作というか、CIA工作員やら秘密組織やらロシアやら北朝鮮やら

困惑しそうなくらい色んなヤバイ組織と戦ったり逃げたり、という大枠が存在し、

それだけでも描写としては非常に面白いしよく作られている。


その中に出てくるマテリアルとして数学・物理学的な要素が出てくるということ。


「すべてのとき」に主人公が入ると、今何をするかによってどういう過去が生まれるか

全てが予見できる。その中で、期待する結果に到達する可能性が一番高い行動を

選択して、危機を回避していく・・・という進み方。


Amazon書評にもうまいこと書いてありますが、「ジョジョっぽい」というのは確かにその通り。

第3章っぽいな。

全体としてはDIOと戦う長い旅を描きながら、その中で波動(波紋)を擬人化したスタンドを活用した

色んな能力を駆使して危険を回避・勝利していく。まさにそんなノリ。


理系アレルギーには細かい描写が苦しいかもしれませんが、

個人的には知的探求心も満たされつつミステリー大作を読んだという

感じで一石二鳥に面白かったです。


ちなみに、解説がなぜか児玉清です。

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決定論と非決定論:統計学と確率論を考える

2010 年 3 月 15 日 コメントはありません
以下、個人的解釈を含みます。
責任は持ちません。


あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする立場。

物理的な考え方と、概念的な考え方が存在するが、
科学の世界ではラプラス先生の「ラプラスの悪魔」が有名。

例えば、コインを投げる。
表が出る確率は50%。

でも、コインを投げる確度、力、加速度、空気の状態などなど
周辺環境要因を解析すれば、投げた瞬間に表か裏かどちらかが
決定されてる、というのがラプラス先生のご意見。
それはただ単に人間には判別できないだけで、そういう事象が全部理解できて、
分析できるすごい人(とは限らず)がいれば、未来も含めて予測できるという話。
これがラプラスの悪魔ですね。

世の中には偶発的なことなどなく、全てが何か起因する要素があって
発生した必然的なことであるということです。

でも、これは20世紀に入るとハイゼンベルグ先生が不確定性原理を提唱し、
量子力学の基礎が整備された。
これはわかりにくいんだけど、粒子の運動量と位置を同時に正確に測ることが
出来ないという事実があって、これは元々決まっていないということらしい。
このコペンハーゲン解釈によって決定論は否定される。

でも、結局アインシュタインも「神はサイコロを振らない」って決定論っぽい
ことを言ってみたり、ホーキンス先生みたいな名高い物理学者さんも
決定論的な解釈を支持してる。
ま、結局揺れてるわけね。

これ、人間の心にも適応されんじゃね?
というのが決定論/非決定論のもう一つの側面で、概念的な方。
つまり購買行動とか、消費行動とか、何か人が行動を起こす際には、
必ず何か要因があると。

逆説的に言うと、詳細にその人の生い立ち、環境要因、生活における情報接触などを
解析していけば、100%行動を起こさせることが出来る!ってのが決定論。
洗脳とか、マインドコントロールとか、そうですよね。
人間の本来の欲求を強力な力や思想で支配して、同じ方向に動かすわけです。

あながちね、大きく間違ってないと思うんですよ。
少なくとも、大多数に関しては正しいのではないかと。
こういうことは総じて「●●だ」という方が難しくて、
「●●じゃない」ということは反例を出せばいいから楽なんです。
「大枠で●●だ」というのが決定論じゃないかと僕は思います。

話はちょっとずれるけど、確率論は統計学の予測をする学問。
統計試行を数式で予測するのが確率ですね。

つまり、コインを4回投げて、表が何回出るかって話を
考えると、統計でいくとあくまで2回を中心とした正規分布を
描くだけなわけです。

確率論では、期待値として「2」という具体数字が出ますが、
これはあくまで「2が正解に”近い”」というだけで、実際には
2回出る確率なんて38%程度だったりするわけ。

それで行くと、決定論ベースで統計→確率論に持っていけば、
「これが正解っぽい」というコントロールの法則に行きつく
わけで、それがつかめたら実現できるんじゃないか、と思ったり。
そんなこと考えてたら面白いだろうな~って、朝電車の中で考えながら
通勤してる、ちょっとした変態だと思います。自分でも。

何か疲れているのかもしれませんねぇ。
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